川越グルメ・見所
洋服において、男性の選択肢は狭いと言われます。
しかしだからこそ奥深いと考え、私達は着手であるお客様のパーソナリティを最大限に引き出す一着を仕立てる事に集中します。
かつて人々を魅了する数々のアートを生んだミラノ郊外の小さな町『ORENO』の様に、お客様にとっての唯一無二の存在になれる事を祈って。
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洋服において、男性の選択肢は狭いと言われます。
しかしだからこそ奥深いと考え、私達は着手であるお客様のパーソナリティを最大限に引き出す一着を仕立てる事に集中します。
かつて人々を魅了する数々のアートを生んだミラノ郊外の小さな町『ORENO』の様に、お客様にとっての唯一無二の存在になれる事を祈って。
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2018/06/13
遠方からのお客様、そして川越の地元の皆様にも。
実際に私、木村が川越の街を食べ歩き、写真を撮りながら書いていく
【川越グルメ・見所ガイド】
今回は、川越の喜多院を訪れました。
元は平安時代初期、830年に淳和(じゅんわ)天皇の命令によって建てられ、無量寿寺と言う名前でした。
1599年、徳川家康に信頼を置かれた天海(てんかい)が第27世住職として入寺し、名を喜多院と改められます。
緑に囲まれた境内は、確かにパワースポットの雰囲気がありますね。
ちなみに、喜多院は予習せずに訪れ、時間もあまりありませんでしたので、すべての場所の写真を撮っているわけではないのですが、かなりの数の重要文化財が存在するようです。
江戸城から移築された、家光誕生の間、春日局化粧の間、五百羅漢などは、今回訪れることができませんでした。
記事を書くにあたり調べてみましたが、なるほど、歴史の濃い場だったのですね。
江戸城の別殿を移築して作られたこの客殿は、建物がまだ江戸にあった頃、徳川家光がここで生まれたことから、家光誕生の間と言われています。
書院も同様に、この建物が江戸にあった頃、家光の乳母の春日局が使用していた部屋とされています。
ちなみにこの建物を見るには参拝料が必要だそうです。
喜多院の最大の見所なのだそうですが、私、今回いってません、、、500体の羅漢様が鎮座するこの場所。ちなみに羅漢とは、修行僧のことだそうです。
さまざまな表情の羅漢様が存在し、笑っていたり、怒っていたり、みていて飽きないスポットなのだそうです。
夜中に羅漢様の頭を撫でると一つだけ暖かいものが。その顔は自分のなくなった親の顔に似ているのだそう。
喜多院の本堂とされる慈恵堂です。左右に不動明王を祀っていて、毎日不動護摩供(ふどうごまく)を唱えているのだそうです。火の中にお供え物を入れ、不動明王を供養し、その加護を得ると言うことです。
そしてこの鐘を鳴らす時にチラと見えらこの額。潮音殿と書いてあります。
これには、お堂で正座で静かにしていると、潮の音が聞こえてきたことから、いつしか潮音殿と呼ばれるようになったと言う話があります。
縄文時代前期には、川越は海に面していて、喜多院からほど近い小仙波と言う地区には、小仙波貝塚と言う貝塚も存在しています。
信じるか信じないかは、あなた次第のような話になってしまいました。。。
ちなみにこの五色の垂れ幕。他の寺院などでも見かけることありますよね。
これは五色幕といい、お釈迦様、神様の体や教えを表したものなんだそうです。
うん、やはりこういうものは、知って見ると全然違う感覚です。もう一度行きたい。。。
この記事を書いたのは「木村駿平」
筆者「木村駿平」について
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某ファッション学校にて、レディースオートクチュールのパターン作成、縫製を専攻。
卒業後、「俺のTailor」に入社。
奥深い紳士服の世界に刺激を受けながら、日々勉強中。
趣味はワークアウト。自分のオーダースーツが着れなくなるほどの体型変化に気がかりながらも
週に3回トレーニングに費やす。サプリメント中毒者。